あの日はお天気もよくて、ごきげんで電動車椅子で走ってました。
ところが、歩道から次の歩道に乗り移るために段差のある所を降りようとした時、いつもなら段差を昇り降りする時は段差に近い車椅子の前輪の方を見るようにしていたのですが、その日はよく通っていた道なので安心してたからなのか、天気が良くてうかれていたからなのか、全く前輪の辺りは見ずに真っ直ぐに進行方向だけを見たまま進んでしまいました。
車椅子が「ガタッ」と前に傾いて「あっ!」と思う間…、ほんの一瞬でした。
車椅子から体が放り出されて、アスファルトの上に転がりました。「高かった…」そう気づいた時には、頭がジンジンして、アスファルトに打ちつけただろう膝には激痛が走っていました。ジンジンしている頭からは、赤いものが流れていました。
「血が…、どうしよっ…」
そんなに長い間ではなかったのですが、そこに転がっていると、通りがかりの人達の
「コケはったん?」
「大丈夫?」
「こんな高いとこから行ったらあかんわ」
などと言う声が私の上の方から聞こえて、その中にいた人が「そこ病院や」そう言って私のこけた場所のすぐ側にあった病院に連れて行ってくれました。
病院に入ると看護士さんが私の頭から流れている血にびっくりして、ストレッチャーで処置室に運んでくれました。
頭から流れる真っ赤な血に私自身の気もひかれていたのですが、頭の傷の治療が落ち着きかけたころ、膝にこけた時の激痛が再び戻ってきたのです。
「膝が痛い…」
そう思い出すとその痛みはドンドンドンドンドンドンドンドン大きく感じてきました。「痛い…」やっとの思いで看護士さんに伝えました。
「痛いよね~」私の頭の傷ガーゼを貼りながら応えてくれました。
「頭違うねん…」
私は、私必死で「膝が…」と伝えました。「えっ…、膝が痛いの?」気づいてもらえたみたいで、「こけた時に膝の辺打った?」と聞いてくれました。「はい…」私はまたまた必死で応えていました。そして、レントゲンを撮ってもらえることになり、膝を触られると激痛がもっと激痛になるというとんでもなく大変な状態の中、ストレッチャーからレントゲン台の上に抱えて移してもらう時の容赦ない痛みに耐えることにもなりました。
診察室でのお医者さんの言葉は、
「あ~、折れてますね~」
でした。
私の側で看護士が「頭より大変なことになってたんやね~、そりゃあ痛かったね~、頭に気ぃとられてて、気がつかなくてごめんね…」と気の毒そうに言ってくれていたのが、その時の痛みと一緒に何故かとても心に残っています。
それから、2ヵ月あまりの間、とにかく、何か介助してもらうのも、自分で体の何処かを動かそうとしても、ただベットに寝ていても痛みが走って…、たった一瞬の気のゆるみと油断からおきたできごとのせいで、この痛みは二度と消えないんじぁないかとも思ってしまったくらいでした。
あの日から、もう、3ヶ月が経とうとしています。まだ、動きによったり、ふとした時の痛みはあり、まだ、完治しましたとは言ってもらえた訳ではありませんが、激痛は…、今では、もう忘れてしまいそうなくらい遠いものになった気がしています。
「痛かったなぁ…」
「あの時の痛みは忘れたらあかんなぁ…」
だんだん遠くになっていく激痛をちゃんと覚えていられたら、あんなふうにならないように、
段差は気をつけて…気をつけて、ちゃんと見ていくようにって思っていつも電動車椅子を運転できるんじぁないかと思っています。
でも…
「歩道に高い段差があるねん…」
ちょっと思ってしまったりもしてしまいました。
「"歩道"っていうから、歩いてる人のための"道"なのかなぁ」なんてふうにも…。
骨折は痛いです。
だから、慌てずに、ボーっとしないようにして…、"歩く"なんてできない私の足になってくれている"電動車椅子"を運転しようと思っています。
"高い段差"はあちらこちらにありますから…。
そして、そして…、
"骨折は痛いです。"から…。
PR